伊勢の杜にようこそ

武田所長は淡々とした日常を丁寧に過ごすことで、ありとあらゆることに神さまを見ていらっしゃいます。だからでしょうか、驚くほど誰に対しても公平で謙虚です。そしてそれは所長にとってはあたりまえのことなのかもしれません。

この本は伊勢修養団にて本当にあった出来事の見聞や感想が、随筆形式で描かれています。一編一編ももちろんすばらしいのですが、(本当に泣きますのでご注意ください。)一冊にまとめられることで、ご本人の徳の高さが通奏低音のように鳴り響いているかのようです。

一度読み終えてから、どうにかこの徳の高さをまねびたいと想い「一日一所長」と名付けた一日一編以上を音読するスタイルを続けました。これは「一日一稲盛」、「一日一ニーチェ」に続く第三弾の一日一編シリーズです。音読は、読み・話し・聞くを一気に一人で、どこででも(周りに人がいないことを確認しましょう)体験できるとても手軽でパワフルな方法です。

ボクの悪い癖のひとつ「思い出し激怒」は、自分に対して不利益なことが起こったとき、他人の足りないことに焦点をあてイライラすることを、いつまでも繰り返す非生産的な行為なのですが、不思議なことにその状態を自覚し、受け止められることが多くなりました。まさに「性格は変わりにくいが、行動は変えることができる」ようです。

今回も心に響いた(マーカーを引いた箇所)をいくつかご紹介します。

(45年続く小学生を対象とした伊勢少年少女合宿講習会にて)
私は子どもたちの理解を深めるために、こんな質問をします。
「履物をそろえることは、いいことですか、悪い事ですか?」
子どもたちの答えは
「いい事」
「それでは、履物をそろえることは、いい事ですか?あたりまえの事ですか?」
ほとんどの子どもたちは
「あたりまえ」
と答え、気づいてくれます。それでは、
「履物をそろえることでいい事は?」
答えは何でしょうか。
この”あたりまえ”を少しずつ広げていくことが、自分自身を見直す一番の近道になります。(P.139)

「愛とは相手に変わることを強要せず、相手をありのままに受け止めること」
(ディエゴ・ファブリ)

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何かをしたから、何かが得られるというものではないのですが、どこかで期待してしまうのが人間の悪い癖ですね。(P.144)

幸せな生活を得るための最短の方法は、身近にできる良い事に目を向けること、そしてそれを実行していくことです。たとえば、履物を並べる(整頓)、自分から挨拶を元気よくするなど、誰でもできることを心をこめて、楽しみながら続けていくことが大切です。(P.151)

”今”をよりよく楽しむためには、面白くないと素直に言える自分になりたいものです。本音を出せないで苦しんでいるよりも、本音を聞いてくれる相方を作ることが、大切な解決の近道になります。

逆境に身を置いていても、そんな相方の存在が心の支えになってくれるものです。逆境にいるならば、真剣にそれを受け止め、出来たことをひとつずつ喜ぶこと。
「出来ないことを悔やむより、出来たことを喜ぼう」

”今”を喜ぶことが出来る喜びじょうずな人になりたいものです。(P.226)

新年度の始まり気持ち新たな季節にピッタリです。ぜひお読みくださいませ。

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