クリーニングの真実

いのちのエネルギーからはじまる川田先生のシリーズ。今回はきれい・ねっと名作として2013年に発刊された『クリーニングの真実』をご紹介します。

僕の読書傾向として読んだ本を時間が経ってから見返すことが多いのですが、気になったところが本のどこに書かれていたか、あとから探すのに苦労することがよくあります。そのため心に響いた箇所、気に入ったフレーズなどに蛍光ペンでマークしてドッグイヤーをしています。(その中からブログでご紹介できたらいいなとも思ってます。)

ところがです。

この本はドッグイヤーのページが多すぎます。
(写真参照ください。)

ほぼ、半分です。

以下のような原形をとどめていない受験生の参考書程ではありませんが。

普段は気になったところをマーカーでひくのですが、本書はあまりにマークする箇所が多すぎて、見開きページをまるまるカギカッコでくくってるところもあります。

もう、写経でもしたらどうかという勢いです。

さらに、もう何度読み返したかわかりませんが、読み返すたびに新たな発見や気づきがあります。単に忘れているだけの学びの薄い人生なのかもしれませんが、コツコツとクリーニングが進んでいるものと信じたいところです。

ですので、読書ブログとしてあるまじきなのですが、正直なところどこを紹介してよいか選びきれません。

そこで、いっそ思い切って「まえがき」の全文引用をしようと思います。
このまえがきですが、内容はもちろんすばらしいのですが、それ以上に

言葉の意味というよりもむしろ、言葉に乗せられたエネルギーの強さ、振動数の高さ (P.187)

を感じ取っていただけるのではないかと思います。

川田先生によれば、

残念ながら、現在の私たちの技術では計測限界が放射線のガンマー線を越えた辺りでまだこれを具体的に計測することができません。まだまだ人間の意識を波動で表現した時に、それが縦波か横波さえ分かっていません。「気」との関係も、いまだに解明されていないのです。(P.156)

と、意識を数値化することは困難なようですが、科学がとらえ切れない精妙な振動は、きっと皆さまの心に響くのではないかと思います。

まえがき

これまで私は、講演録『いのちのエネルギー』や著書『生命誕生の真実』などで、生命の正体をどうすれば確認できるか、種々の実験を通して明らかにしてきました。また、その成果を私たち人間に応用しながら、「何のために生れてきたか」、「どのように生きるべきか」、「死後の様子」などの根源的な問いについても、 私なりの答えを提示しました。

そして最終的には、私たちが安心して楽しい日々を過ごし、輝いて生きていくためには、どうしても魂そのものをきれいに磨いておかなければならないことに気づき、私なりのクリーニング法についてもご紹介させていただきました。

しかし、この中でのクリーニングについての説明はごく簡単なものであり、特にクリーニングを続けていった結果、その到達点ではどのようなことが起こるのか、また、その後の私たちの魂の様子については一切触れられていません。これは実は、触れなかったのではなく、触れられなかったというのが正直なところなのです。

クリーニングについては、心の曇りを取り去るということで、さまざまな方法が世に出され、いまや精神世界の学びにおいては知らない人がいないほど有名な言葉になっています。ただ、ほんとうの意味でこのクリーニングのことを理解し、 実践できている方は案外少ないのではないかという気がいたします。

実は、世の中で語られているクリーニングの方法は、そのほとんどが心の表面をきれいにするいわば入口のような方法なのです。

「私たちの魂というものは、大変に奥が深い存在です。表面がきれいになることで、その奥の曇りが明らかになりそこをまたクリーニングする。そうするとさらにその奥の曇りが明らかになる。この繰り返しが必要なのです。逆に考えると、 表面がきれいにならなければその奥の曇りを発見することができませんから、ク リーニングは順を追って進めなければならないものということになります。

そこで本書では、第1章で前著のおさらいとして、私たち生命体がこの地球上に表出するための仕組みを示し、第2章で心の曇りとは何か、それを取り去るクリーニングがなぜ必要なのかをお伝えします。

続く第3章では、私たちの根源的な要素である「水」について、おそらく世界で初めての捉え方で、その本質に迫っていきます。そのうえで、第4章では私たちの魂が目指す世界、前著の言葉を借りれば、クリーニングの先にある「空に生きる」私たちの「愛でつながる世界」について、という具合に順を追ってお伝えしていきたいと思っています。

さて、今回クリーニングの必要性を多くの方に知っていただき、ぜひ実践していただきたいとの思いを強く持ち、本書を著すことになったのですが、残念ながらそれを成し遂げるには、私だけでは力不足であることが明白でした。

私に限らず男性というものは一般的に、「愛」そのものをどうしてもコトバに表して語ることができないのです。愛の概念を理詰めで理解することはできても、コトバにだして自由に語れるほど、心や魂に落とすことは男性にとって非常に難しいことで、私はこのために、前著でクリーニングの到達点に触れることができなかったのです。

そこでひらめいたのが「愛」を語ることのできる方、おそらく女性との共著という形で表現していくという方法でした。

ただし、愛を語れる女性であれば誰でもいいという訳ではありません。愛の本質を、誰にでも分かる言葉で語れる必要があります。しかし、その領域に達するためには、言語に絶する苦しみや悲しみ、恐怖や不安といった極限状態を乗り越えなければならないのです。そのうえで、愛に満ち、光り輝いている方の協力がどうしても必要なのです。

その方は、私のごく近くにおられました。それは前著で科学とスピリチュアルという、これまでの常識では水と油のような関係にあった世界観を、しっかりと理解されたうえで見事に融合し、編集をこなされた山内尚子さん(以下、尚子さん)その人でした。このとき、尚子さんはあたかも「蛹から蝶への変身」を遂げてしまっていたのです。このような背景の中で、私が無理をお願いし、「愛」を改めて語っていただくのが本書というわけです。

「そんな光り輝く尚子さんですが、眼の奥と類の一部には、かすかに悲しみと不安をいまだに残しています。今このときにも魂を磨くことを自らに課しているのでしょう。人の顔というものは、その人の生き様の全てを刻み込んでいます。さらに蔵識にもそのまま畳み込んでいます。

ともあれ、科学者と編集者というまったく生き方、考え方の違う人による本とはどのようなものになっていくのでしょうか。皆さん方と同様に、私自身が今からとても楽しみにしております。

つくばの研究所にて 川田薫

ピンと来られた方、ぜひご一読くださいませ。

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