エジソンの生涯①

21世紀の魔法使い落合陽一さんがオススメしていた20世紀の魔法使いエジソンの伝記。

優れた発明は、やはり『予知できない』ものなのである。

口がきけるようになると、かれは両親であろうと、ほかの人であろうと、相手かまわず、とめどもなく質問を浴びせかけた。「なぜ」「どこ」「なに」をあまりに連発される
なんでも物事を突きとめなければ気がすまなかった

かかれが求めていたことは、自分の目で観察し、自分で「ものをすること」と、自分で、「ものを作ること」であった。自分でものを見たり、試してみたりすることは、「ほんの一瞬だけあっても、見たことのないものについて2時間も教わるより有益である」と、かれは言っている
実験することと知識を得ることとは、トマス・アルバにとっては、早くも少年時代に結び付けられていたのである。

電気とは何か、トム・エジソンは人にたずねつづけた。ポートヒューロンまで延長された鉄道の駅長のスコットランド人が、ついにうまい説明をしてくれた。「それは、どうの長いイヌのようなものだよ。尻尾がスコットランドにあって、頭はロンドンにあるんだ。だから、エディンバラで尻尾を引っぱると、ロンドンでほえるのさ」

もし一つの電線で二つの電文を送ることができたら、電信はどんなに安くなるだろう!

発明は、諺にある”必要という母”から生まれるものではなく、むしろさまざまな技術や工業についての知識の蓄積や、文化と技術の高い水準から生まれるのである。

哲学者ジェレミーベンサムは、発明家の生涯には助産婦がいなければならないと賢明な結論をしている。説得に才のあるもの、世間のことに通じており、あまり熱情にとらわれすぎず、幾分悪党じみた人間が必要だと言っている。

抱負に燃えている発明家は超然としていた。彼には投機や単なる金儲けに夢中になっている群集の気持ちがわからなかったし、だからまたその熱病もわからなかった。稼いだものはすぐに使ってしまった。発明の仕事に役立つような機械に投資した。彼は作る人間、発明する人間でありそれ以外のものにはなれなかったのである

エジソンはうず高く積まれた化学書を読んでいた。その本は積み上げたら1メートル50センチにはなるだろう。それは、ニューヨークやロンドンやパリから取り寄せたものだった。かれは夜に日をついでそれを勉強した。食事は机でとり、寝るにも椅子にかけたままだった。かれはそれを6週間で読み通し、抜き書きを1冊つくり、2000の実験をした。そして一つ解決を得た。

当時のエジソンは発明品を商業的に受け入れるか、拒絶するかという決定や、また産業技術の大部分を支配するものは有用であるとか長所があるとかという問題でなく、鉄道および電信の分野で争っている貴族たちの間で起きる戦争や平和交渉の結果によって決まるものだということをほとんど知らなかった。

電信機は孤立を破り、距離を征服したと言われていた

エジソンは、科学という「宗教」に一身を捧げた人間だった

エジソンはこれまで、19世紀の「何でも一人でする」最後の発明家だといわれていた。だが、それは本当ではない。

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